タイトル 心の支えとなる「人」との出会いが今の私を形作っている

※紹介した体験談は患者さんが経験された経過の一部を紹介したもので、すべての患者さんが同様の結果を示すものではありません

小見出し 小学校5年生、療育手帳の交付によってASD(自閉スペクトラム症)を自覚

医療機関に通い始めたのは3歳のときだと、両親から聞いています。私が公園で遊んでいたときに、たまたま近くにいた方から多動症のような動きをすると言われたそうです。このことに加え、その他にも思いあたる節があったようで、医療機関に相談したそうです。幼稚園と医療機関、さらに主治医の先生から紹介されたリハビリテーションセンターに通い始めたのがそのころです。リハビリテーションセンターでは発達障害を持つ子どもたちとの交流もあったようですが、幼かったこともあり記憶にはありません。

小学生になると、アニメやドラマのセリフをほとんど覚えて、友人に一方的に話し続けてしまったり、大好きな鉄道に没頭して時が経つのを忘れてしまったりという特徴が顕著にでていたそうです。まわりの人とは問題なく接しているつもりでしたが、なぜか距離を置かれてしまうこともあり、普通の人とは少し違うのかな、と感じることもありました。とはいえ、学校生活を送るうえでは、放課後友人と遊んだりおしゃべりをしたりしていましたし、自分では勉強も特に問題ないと感じていたことから、困ることは特にありませんでした。しかし6年生になるころ、両親の離婚により父子家庭となり、父の仕事が忙しくなかなか私の面倒をみることができないという理由もあり、5年生まで在籍していた普通学級から特別支援学級に移ることになりました。そのタイミングで、日常生活のサポートや経済面での支援を受けられることもあり、父が療育手帳の申請をしたそうです。療育手帳を取得したことで、私自身は初めてASD(自閉スペクトラム症)だったのだと知りました。友だちから距離を置かれることや、母から学習ドリルの問題ができないことでかなり厳しく注意されたりしたことに納得した一方で、自身のASD(自閉スペクトラム症)における不得意な面も知ることになり、不安な気持ちにもなりました。

医療機関へは父に連れられて定期的に相談に行っていました。特にアドバイスを受けるようなことはなかったと思いますが、主治医の先生と話をすること自体が安心感につながっていたと思います。また6年生になってからは、療育手帳を申請したときに自治体から紹介を受けた、生活における困り事全般を相談できる地域活動ホームが運営する基幹相談支援センターに通うことになり、職員の方に日々の出来事を話すことで、不安の解消やストレス発散をすることができたのだと思います。

  • 基幹相談支援センターとは、障害を持つ人やその家族の相談窓口として、地域の障害福祉に関する相談支援の中核的な役割を担う機関です。
小見出し 医療機関、学校、自治体のサポートによって不安定な時期を乗り越えられた

特別支援学級へ移籍したものの、本心では納得のいくものではありませんでした。普通学級に通う同級生が楽しそうにしている姿をみると、うらやましさからつい感情的になってしまうこともあり、中学校に入ってからもその気持ちを引きずっていました。学校の先生は常に気にかけてくれましたが、そのころ、妹が体調を崩しがちで、心配事が増えたため精神的に不安定になりました。そのため、主治医の先生に相談したところ、不安感やイライラはお薬の力も借りて改善しましょうとアドバイスをいただき、服薬を開始することになりました。当時、自分ではどうにもならない部分もあったので服薬を開始することでとても安心しましたし、治療の成果もあって、ほどなく精神面は落ち着いていきました。また基幹相談支援センターへの通所によって、学校で友だちと話していてつい感情的になってしまったことなど、イライラや不安などの心にたまった思いを打ち明けることができました。こうした医療機関、学校、自治体のサポートをいただいたおかげで、一時はつらいと感じていた中学校も無事に卒業することができたと思っています。

小見出し 特別支援学校で得られた自分の特徴への気づき

中学校卒業後は、特別支援学級の先生や親の勧めもあり、特別支援学校に進みました。特別支援学校でも、友人に一方的に話し続けてしまうことで距離を置かれてしまうこともありましたが、私に共感を示してくれる友人に出会うことができたのです。また、同じような悩みを抱える友人たちとのかかわりを通して、相手の立場を気にかけることの大切さを学ぶことができたと思っています。入学当初は、普通科の高等学校への憧れがありましたが、特別支援学校に進んだことで、お互いに特徴を理解し合える友人に出会えたことは、大きな糧になりました。

特別支援学校の作業学習においては、集団での作業や製品をつくるときの細かな作業、優先順位をつけることなどが苦手であることがわかりました。また卒業後の就労を見据えたときに、子どものころとは異なるコミュニケーションスキルが求められることを考えると不安を感じました。しかし学校の先生やスクールカウンセラーから、まだ先が長いのだからすぐに結果を出そうとしなくて良いと精神面のサポートも含めたアドバイスを受けることで、就職という次のステップを考えることができました。

小見出し 本音で語り合える心の支えとなる「人」との出会い

現在勤めている会社は2社目です。特別支援学校の3年生になると、県と提携している企業において就労に向けた実習を行いますが、その企業が受け入れ可能となれば就職することができるのです。1社目はそのような流れで就職しましたが、優先順位をつけて動くことが苦手だったり、細かな作業でのミスが重なってしまったりして、環境に上手く馴染めなかったため退職してしまいました。しかし、事情を聞いた特別支援学校の先生からの紹介で就労移行支援事業所に1年半通い、さまざまな特徴を持つ人が働きやすい環境が整っている特例子会社である現在の会社に就職しました。苦手分野を補ってくれる上司・同僚の存在や、就労移行支援事業所からの継続的な支援もあり、良い評価を得て正社員になることができ、あっという間に4年が経過しました。

通い続けていた基幹相談支援センターの紹介で、2社目の就職と同じ時期にグループホームに入居しました。そのグループホームの担当職員さんは本当に親身になって私の話を聞いてくれる方で、現在の会社に就職した当初から、環境に馴染めるように必死だった私の気持ちをおもんぱかってくれ、グループホームの面談に限らず、多くの場面でたくさんの相談にのってくれました。悩み事だけではなく興味関心のあることを共有するなど、本音で語り合える方々に出会うことができたと思っています。

  • 特例子会社とは、企業の子会社で、病気や障害を持つ人の就労に特別な配慮をしている会社のことを言います。
小見出し 自分の特徴を前向きに受け入れて、「一つずつ焦らずに」を心がけていきたい

完璧主義的な性格が裏目にでて、コミュニケーションが上手にとれずフラストレーションをためてしまうことも多々あるのですが、その特徴も私の個性なのだと前向きに受け入れて、一つずつ焦らずに進むことを心がけていきたいと思っています。

現在は職場にも慣れて心に余裕ができたため、一人暮らしをしています。自分から役所に足を運び、別の基幹相談支援センターを紹介いただきました。職員の方から、療育手帳を持っていることで、税金や水道・下水道料金の減額や鉄道運賃の割引などの支援を受けることができると聞き、生活面において非常に助けられています。仕事が終わった後に運動したり、休日にはカーシェアリングを利用してドライブしたりと気分転換も上手に取り入れながら、充実した毎日を過ごすことができています。このように前向きな気持ちになれたのは、主治医の先生から適切な治療を受けられたことや、私の苦手分野を補うために多くの方々の支援があったこと、また心から信頼できる人にも出会えたことが理由だと思っています。それらがつながって、今の自分を形作っているのだと実感するとともに、感謝の気持ちでいっぱいです。

相談風景の画像

関連ページへのリンク


監修

国立大学法人信州大学医学部 子どものこころの発達医学教室 教授 本田 秀夫 先生